サナダムシという人間の腸内に住み着く寄生虫がいるのはご存知であろうか?この寄生虫 (種類は色々あるようだが無鉤条虫というのが一般的な種のようだ) は人間の腸内で消化物の横取りをするのであるが、要するに糞になる前の栄養豊富な消化物を食っているのである。いきなり何を言い出すのかと思うのかもしれないが、ある時ふと疑問に思ったことが、このサナダムシが人間程度の知能を持った場合、彼らもまた理想郷といったものを思い描くのだろうか、という事と、その理想郷はどんな場所なのだろうかという事である。
人であっても寄生虫であっても、または道端の石のような無機物であっても何らかの理由で意識が宿っていた場合、彼らがどんな夢を見ようがそれは彼らの勝手である。少なくともこちら側に害がない限りどうでもよいことであろう。
青い海と美しい自然
私はあちこち移住したり旅行もしてきたが、雪でいっぱいの銀世界の広がるアルプスや北欧も好きだが一面に広がった人影の全く感じられない幻想的な砂漠も好きだ。また青い海が魅力的な南の島々も捨てがたい。
ちなみに絵葉書に見られるような南の島というのはイタリアやギリシャなど南欧の地中海に散らばる島々や、ハワイやグアム、そしてフィリピンやタイなどが有名であろう。しかし実際のところ温暖な地域なら世界中のどこにでも見られるもので、日本の沖縄地方もなかなか捨てがたい綺麗な島々があったりする。私自身もこれまでも何度か立ち寄ったことがある。ただ最近は石垣島や宮古島といった沖縄の人気の離島で起きている事で気が付いたことがあったので少しこれについて書いてみたい。この両島(とその周辺地域)はどちらも沖縄の離島と表現されることがあるものの、そこそこの人口を有しており、またかなり観光地化もされている。航空便も東京や大阪向けのものが充実しているので人の往来も割と激しく、「離島」という表現から想像できるような自然が豊かで人の少ない南の島、という訳ではなくなってきている。特に最近は宮古島がバブルと形容されるような状況に巻き込まれており、島の雰囲気は10年前と比べると劇的というほどに変っている。いや正確に言うと、ここ3年程という短い期間の変化が最も激しいと感じる。
宮古島がバブルと言われる背景にはリゾート開発に関する不動産絡みの投資が原因とされているがこれに関しては多方面で取り上げられているので少し調べてもらえれば大まかな概要はすぐにわかるであろう。ただとりあえず現在の状況について言うとあまり良くない状況なのである。具体的な何が良くないのかというと、まず一番聞くのが日本本土からの企業による、リスクの高そうな投資による島の物価全体の高騰とそれに絡む現地民の生活費の高騰だ。他には以前の記事でも書いたが観光業による収入増を期待して一部の地元民が収入源を観光関連に鞍替えしてきている事が挙げられよう。それは大抵の場合、土産屋と飲食店であり、元々やっていた漁業や農業などからこのような業種への鞍替は、不可避的に起こる観光業に対する依存によって地域の経済構造が変わってきてしまい、長期的に見ると経済基盤が脆弱になるという、南欧を含めた世界各地で見られるような現象に巻き込まれつつある(まだ完全にそうであるわけではないが、その傾向は至る所で見られる)。ちなみにこれに関して厳しく言うと、観光業に依存するのもしないのも最終的には現地民の自己責任なので、その結果彼らの生活に問題が起きても誰のせいにもできない、という事は付け加えたい。
経済に関することだけではなく、また明らかに目に見えつつある負の側面は自然破壊である。私の知り合いも含めた、多くの宮古島の定住者がこれを指摘しており、私の主観による勘違いという事はなさそうだ。具体的な統計や指標のための調査がされているとはあまり聞かないが、現地でずっと生活している人たちの実感からくるものなのでこの問題に関してはそれなりに確信が持てる。代表的なのはサンゴ礁を踏みつけることによる環境破壊だが、これまであまり人が入っていない海岸沿いに入り込み (立ち入ること自体は非難されることではないが) そこの自然を荒らしたりするなどの人為的な自然破壊が増えてきている。次はYouTubeで見かけた動画であるが、こういった行動をする馬鹿が増えてきている。
私自身も似たような光景を目撃しており、呆れたことが多々あった。2019年に池間島にあるハート岩と呼ばれる、見る角度によってはハートの形に見える岩がある小さなビーチに寄ったのだが、この場所はNHKでの撮影にも使われたので少し有名になった場所であるようだ(と言っても私個人的には何も感じるところのない単なる小さなビーチである。日本全国どこにでも見られる、地元民が無理やり便乗して観光地にしてみた場所であり、正直言ってつまらない場所にしか見えなかった)。

宮古島は割と風が強い日も多く、この日は風だけでなく日差しも強かったため左側にある岩場の陰に身を隠して海を眺めていたのだが、私のすぐ近くで茶髪のいかにも馬鹿そうな二人の若い男が、このような田舎に住む人たちのゆっくりとした雰囲気とは明らかに違う、どこか異質な雰囲気を漂わせながら海に潜ったり釣りをしていた。ちなみに最近の若者は落ち着いていることが多いので、茶髪や金髪だったりするとそれが男の場合に限り大抵の場合は馬鹿である可能性が高くなる。人は見かけによらないとは言うが、実際は見かけによる可能性が高いのが私の経験則だ(もちろん例外があることは付け加えておく)。それはともかく、しばらくした後にこの二人組のうちの一人がいろいろと私の周りをあっちこっち歩き回りだした。見ているとどうやら枯れ木や流木を物色しているらしい。死んだサンゴ礁のブロックなんかも集めているので何をしているのか訝しく見ていたのだが、そうするうちに妙な匂いが辺りに漂いだした。いったい何事かと思い辺りを見回すとこの馬鹿二人組が近くの物陰で火を起こしている。私は一応は外見ですべてを決めつけるべきではないと心掛けているので、あからさまなキチガイでない限り、誰であっても取りあえずは気軽に接するのだが、その流れでこの馬鹿たちに話を聞いてみるとどうやら釣った魚を焼いて食べようとしているらしい。とは言えキャンプをしていた訳でもない様で、要するに遊んでいるだけのなのだが、この場所は先ほども言ったようにつまらないとはいえ観光地であり、その為に色々な観光客が頻繁にやってくる。またビーチとはいえ小さい場所なので、15人程度であっても人が多くいると感じさせるような狭い場所である。そんな場所で堂々と火を焚こうという考えは観光客はもちろん地元民であっても思いつかないであろう。どうしても野外バーベキューをしたいのならもう少し人気の少ない場所ですれば良いのだが、そういう配慮はこの連中には無い。完全に浮ついた感のある典型的な都会の馬鹿共なのだ。先ほどのYou-tuberもそうだが、軽いノリでやりたい放題する連中の軽率な行動のせいで自然が破壊されているのが現状だ。砂浜に普通に転がっていた綺麗な貝殻はゴッソリと漁られ、サンゴ礁の破片も耐熱煉瓦のごとし使用されたりなど、多種多様な目的でやられ放題になっているのが現在の宮古島である(石垣島もやや似たような状況にある)。
他にもこんな事例が目に付く。
“聖なる浜”に続く道…無許可で工事 宮古島で「老後を快適に過ごしたい」と
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/423645
沖縄県宮古島市平良大浦の通称「サギツ浜」と呼ばれる海岸や隣接する里道が約35メートルにわたり、県や市の許可を得ないまま違法に掘削工事されていたことが23日、分かった。海岸法や市の法定外公共物の管理条例に違反しており、県や市は原状回復を求めている

近年は中国人を筆頭とした外国人が超大型クルーズ船で大量に押し寄せてくる状態にあり、彼らが砂浜などの平地をロードローラーのごとし踏み慣らしていく。砂浜やその他の平地を人が歩いたところで一見して大して影響はないと考えられがちだが、自然な豊かな沖縄の南の島というのは天然記念物扱いされているオカヤドカリをはじめ各種のカニや水際生物など、多種多様な生物がひしめく場所である。これらの生き物は人が通ると一時的に身を隠すので注意しないと気が付きにくいが、静かに観察していると実際は結構な数の生き物がいるのだ。しかし近年は昔ほどその面白い生態を水際では見せてくれない。明らかに数が減っているように感じる。
事実、アクセスが悪いため観光客が相対的に少ない、宮古島のすぐ近くにある大神島という小さな島を訪れて少し歩けばすぐに気が付くが、この島はかなり本来の自然が残っており、潮が引いた時に現れるタイトプールには宮古島とは比べられないほどカラフルな熱帯魚の稚魚やその他の水生生物が泳いでいるし、転がっている貝殻の死骸も多様だ。これを見ると「綺麗、綺麗」と騒がれる宮古島を含め、橋でつながっている伊良部・下地、来間、池間などの島々の生態環境は確実に破壊されていることが実感できるであろう。

人の往来が多いというだけでその地域の小動物が少なくなるというのは少々不思議にも感じたが、客観的に見てこれが実際に各地で起きている事である。とにもかくも、綺麗なビーチというだけで美しい自然を期待しても宮古島は以前ほどの美しい姿をあなたに見せることは無いであろう。少なくとも今のところは。
激増する活ゴミ問題
極端な観光地化による自然環境と経済基盤の破壊について実際に起きていることを説明したが、ある意味一番厄介な問題がもう一つある。正直言ってこれが無ければ石垣島も宮古島も何とか魅力を保ち続けれるのかもしれないと思ったりするのだが、それほどまで両地域の魅力を破壊する要因がある。それは活ゴミの増加である。活ゴミとは何の意味か?生ゴミの書き間違いではないのか?と思うかもしれないがこれは意図的に活ゴミと表現している。意味はその辺に落ちているゴミとかという常識的なものではなく、活きているゴミ、すなわち一部のゴミ人間のことであり、いろいろな問題を引き起こしている原因である。この連中は実質的にゴミと同程度の影響しか社会に与えないので、そう呼ぶしか他に方法が見つからなかった。よって私は仕方なしにそう呼んでいるのだが、いや、実際のところゴミよりも悪質であると思う。
この生命活動を維持している人型の活ゴミは、これら島々の美しいビーチや海岸に散らばっているゴミよりも悪質な結果をこれらの地域にもたらしている。これらの島々は犯罪統計を調べてもらえれば分かるが、やはり人口が少ないのんきな田舎であることを考えると概して凶悪犯罪などは滅多に起きない。そんな場所であるのに体感的に変な連中が一気に増加したように感じるのが2019年の宮古島である。以前から観光客は毎年増えており、2019年の9月時点では前年と比べて若干減ったようだがそれでも相変わらず高い水準を維持している事には変わりがない。
令和元年9月の入域観光客数の推計値は105,319人で、前年同月と比較して4,656人減少しています。内訳は空路が71,430人、海路が33,889人。前年9月の入域観光客数は、109,975人(空路63,462人、海路46,513人)。前年度比較増減率は約95.7%です。また、平成31年度4月から令和元年度9月までの入域観光客数の推計値は613,313人となり、前年同期間と比較して67,042人減少しています。前年度比較増減率は約90.1%です。9月の増減の内訳は、空路は下地島空港の成田国際空港・関西国際空港・香港国際空港直行便運航による影響などで7,968人の増加となり、一方海路は、クルーズ船の寄港数が昨年9月の16回から12回と減ったため、12,624人の減少となりました。
https://www.city.miyakojima.lg.jp/gyosei/toukei/kankouyaku.html
しかし奇妙なことに、観光客のこれまでの増え方を考えると2019年からは一気におかしな連中が増えた感じがする。体感的には2018年と比べて2割増しとかではなく2,3倍に増えた感じである。実際に次のような事件が夏に起き、全国ニュースの扱いとなった事は象徴的な例である。
宮古島署は19日までに、宮古島市内のホテル敷地内で、東京都から訪れた観光客の20代女性2人に対し、ツアーガイド代として金を支払うか一緒に食事をするか迫ったとして、強要未遂容疑で同市平良下里の自称ツアーガイドの男(49)を逮捕し、送検した。「やっていません」などと容疑を否認している。同署には同容疑者が関わったとみられる同様のトラブルの相談が十数件あり、警戒を強めていた。 逮捕容疑は10日午後8時20分ごろ、宮古島市平良下里のホテル敷地内で、女性2人に対しガイド代を支払うか一緒に食事をするか強要した疑い。 宮古島署によると、容疑者は女性らに「料金を支払うかどうかは任せる」などと述べた上で観光案内を買って出たという。同容疑者は市内を案内した後、女性らが金の支払いを断ると激怒した。女性らが逃げたため、未遂に終わった。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-974540.html
この事件の大切なポイントは、地元の人間ではなく本州から来た人間によって起こされたという事実である。この事件については地元にあるなじみの店の女主人から教えてもらったのだが、ほかにもこういう類の胸糞の悪い事が起きていると色々教えてくれた。たとえば彼女に知り合いには、母親が高校生の娘とその場に一緒にいるときに見知らぬ男が車に乗ったまま寄ってきて、その母親の目の前で娘に向かって「食事をおごるから一緒にどっか行こう」などと信じがたいナンパを仕掛けてきた例がある。
一般的に言われるような「観光客が増えたため島の雰囲気が変わった」、では説明ができないような嫌な雰囲気が漂い始めているのだ。
実際に私が経験した、もしくは人から直接聞いたいくつかの不快な例を紹介しよう。
気のふれた人面馬
とある奥まった場所にあるビーチの近くに車を止めていた。その道は行き止まりのある狭い一本道なのであるが、私が一番奥に停めているのを知っているのか知らないのかは不明であるが、他の訪問者が後からやって来て私の車よりも出口に近いところで駐車していたようだ。私自身はそれに気が付かなかったのだが、帰ろうと車を動かしたときに道が塞がれてている事に気が付いたので、軽くクラクションを鳴らした。砂浜沿いに3人の馬鹿そうなグループを見かけていたのでおそらくこの連中だろうとは思っていたがどうやらその通りで、小太りで虹色の派手な髪をした若い(?)女が二人と、もう一人は短髪のひょろ長い男だった。クラクションを鳴らした後、初めに女が一人で様子を見に来たのだが、彼女は状況に対して少し焦っていたようだったので、私は「気にしないで」という意思を示すためにそれとなく手を振った。しばらくした後に運転手であろう男が来たのだが、私は車の中にいたので何を言っているのかは不明だが、なにかずっとぶつぶつ口を動かしている模様。私は手で「悪いね」といった感じで手を振ったが見ていなかったようだった。その男はさっさとそのミニバンを通路の外に出し道を開けてくれたので再度相手に見えるよう「ありがとう」といった感じで手を振ってみたのだが、明らかに無視している事に気が付いた。そしてまだ何かぶつぶつと口を動かしている。やっとその時に気が付いたのだが、要するにこの男は文句を言っていたのだ。馬鹿の考えていることは健常者には推測できないことが多いが、とにかく何かが気に入らなかったのであろう。それを見せつけるためかどうかは分からないが、傍から見るとまるで統合失調症の発症者の様に、もしくは食事中の馬の様に、いつまでも口をもごもごさせていた。
画像からもわかるように車両認識プレートは沖縄で登録されていないので、おそらく最近やって来た移住者であろう。

空気読めなさすぎ君
地元民がよく行く静かで人気の少ないビーチにいた際に、偶然近くを通った家族連れの男性と話した。雰囲気で大抵わかるのだが地元出身、もしくは地に足の着いた長期定住者の服装は大抵落ち着いたもので派手な色はあまり好まない傾向がある。要するに普通なだけだ。ちなみに彼は長期定住者との事。
私が今年から体感的に変な奴がかなり増えた感じがする、といったようなことをぼやいたところ、つい最近彼が家族でこのビーチにいた時、スピーカーで大音量を鳴らす輩を見かけたと言っていた。波の音が全く聞こえず雰囲気台無しなので注意をしたと言っていたが、彼の視点からもうかがい知れるように、宮古島においてはビーチはゆっくり楽しむもので、 憩いの場所なのだ。せいぜいラジオで音楽を小音で聞く程度であり、 大音量の音楽をかけるような場所ではないのが地元民の認識だ。いや、たとえ宮古島で有名な前浜ビーチの様な、そこそこにぎわう場所であってもそういうことはすべきではない。そもそも宮古島のようなリゾート感のあるビーチでなくとも少し考えればわかることだが、あなたが海水浴場に家族で行った時すぐ近くで大音量で周辺に音楽を垂れ流す連中がいたらどうであろうか?監視員がいるならばすぐに注意されるであろうし、あなたも一言文句を言いたくなるであろう。いやそれ以前に常識のある人間ならそういう事はしない。しかもそれは日本だけでなく西洋先進国でも常識的なマナーである。
南の島の場違いチンピラ
すでに言ったように活ゴミ共が宮古島名各地でちょろちょろと目障りな姿を見せるようになったので、イライラしていたところ、現地滞在中に知り合ったイタリア人から、「南の方にあるとあるビーチに行ったが、そこはほとんど人がいなかった」というような情報を聞いた。宮古島では賑わいのある市街地は西部の平良港付近に偏っており、ホテルだけでなく住宅もそこを中心にして広がっている。そのため定住している現地民も旅行などで滞在している人も大体この辺りに集まっているのだ。この場所からは宮古島の南部はやや遠く、またそこまでいかなくても多種多様なビーチは色々なところに分散しているので時間をかけて宮古島南部に行く人はやや少ない。また南部はビーチというよりは岩場の多い海岸の雰囲気が強くなるのと、地元民の家族連れが来る雰囲気のビーチがいくつかある程度なので、それも相まって訪れる人はさらに少なめになるようだ。そういう訳でのんびりとした雰囲気で少し釣りでもしてみるか、と思い南部の岩場の混じった感じのビーチへ行ってみた。そのイタリア人の言う通り、人は少なく、時々まとまった来客が来たりもするが、ゆったりとした雰囲気を壊すような人たちではないし、その感じはまさに宮古島本来ののんびりとした感じだったので私はやっと落ち着ける場所を見つけたと少しうれしく感じたのだった。
さて、しばらくして暗くなってきたので帰ろうかと駐車場に向かったところ岩場を上る他の釣り人の影が。あれ・・ああ、ダメだった、ここにも活ゴミが・・・。つくづく思うのだが、世界中どこに行っても何故馬鹿は自分がいかに馬鹿であることを主張するような服装をするのであろうか?その岩場を上る釣り人は若い男だったのだが、 アディダスの大きな金色の中抜き文字がプリントされた黒色のジャージを全身に決めている。いや、よく考えてみると黒色に金文字というデザイン自体は何も罪が無い。これを着て真面目にジョギングしているのならむしろカッコよくさえ感じるかもしれない。面白いことに世界のどこであってもスポーツウェア、特に大文字でロゴがプリントされた派手な色彩のランニングウェアを、自身はランニングなど全くしないくせに普段着として着用している連中の馬鹿率の高さは異常である。まるで歌舞伎町の様な屑の掃きだめ集落に集まる連中の格好ではないか。しかし何故連中はそういう服を着たがるのか?本人自身が低知能かつ色盲なので、大きな読みやすい文字と派手な色でないと相手に自分のファッションが理解してもらえないとかが理由だろうか?一種の自己投影か?本当の理由は不明だが、デザインそのものには罪はなく、馬鹿に限って似た傾向のあるファッションセンスを持っているという事が問題であって製造しているブランドにとってもいい迷惑なのかもしれない。ちなみに日本ではこういう類の精神病者の事を「ヤンキー」などと呼ぶこともあるようだが、あなたが少しでも教養のある方なら甚だ不適切な呼び名である事は自明であろう。「ヤンキー」とは「Yankee」つまり歴史的にも、また今現在もニューヨーカーの別称として使われているのである。これは軽蔑的に使われることもあれば親しみを込めた使い方もされる。日本人の事を「Jap」と呼ぶこともあるが第二次世界大戦中には蔑称として使われた一方、現在では例えば日本語で表現するなら、「あの日本野郎すごいな」といった感じで低俗的だが逆説的に誉め言葉に使われるなど、要するに上品ではない愛称としても使われることも多々ある。「ヤンキー」という単語も似たような文脈で「ジャップ」と同じような使われ方をする表現であって、パパとママの愛情が足りなかったせいで精神失調を発症し、反社会的な事に手を染めたり、かっこいいとか思ってるくせに結局は一人で生きていく根性もなく社会システムに依存して生きているクソガキ共のために使うのは全くの的外れなうえに印象操作の意図さえも感じられる。単に屑とかゴミ、ゴロツキという表現が最適であろう。正直なところヤクザなども含めてこのような連中は、政府が精神失調者として強制収監すべきである。それを政府がしてくれないのなら民間人が捕獲の上、屠殺処分して粉砕機にかけた後畑の有機肥料もしくは養殖魚の餌にした方が社会の為になること請け合いである。私は言い過ぎであろうか?ではあなたに聞きたい。ヤクザやゴロツキと呼ばれる者たちが具体的にどのように健全な社会の発展のために貢献しているのかちゃんと教えてほしい。実際のところ連中を屠殺処分したところで困る人間はいないはずである。まるで漫画「Death Note」の夜神月の様な視点の話になってしまっているが。

ゴロツキアントレプレナー
あちらこちらの宮古島、そして石垣島の住人が口をそろえて言う事があるのだがこれら活ゴミ共の一部には移住後にビジネスを始めて往々にして現地民とトラブルを起こすことがあるという。馬鹿のくせに何をとち狂って自営業を始めるかは不明だが、のんきだが実質的な田舎社会の中で歌舞伎町か足立区で商売を始めるような感覚で活動するので地元民と衝突するのは必然であろう。社会の基盤になるような事業を始める者はまずいないので(単に知能が足りなすぎるので不可能)連中のする商売はほぼ100%水商売である。飲食店やリゾート関連の仕事を始めることが多いようだが、都会の、しかもその中でも民度の低い文化圏の感覚と商習慣を無理やり貫き通そうとするので迷惑極まりない存在である。離島の田舎者社会にももちろん各種の問題はあるが、それでも彼らの商習慣は実質剛健的な部分がその基礎にある。一方都会の浮ついた馬鹿どもの商習慣は大抵いわゆる「体育会系」をさらに腐らせたような健常者には意味不明の考えを基礎にしていることが多く、中身のない軽い会話とイメージ戦略のみで南国の島での事業を押し通そうとすることが多く、結局その宙に浮くような的外れ妄想的事業は失敗するのがお決まりである。そもそもそんな連中の店には地元民は寄り付かないから。
哀愁の陰茎と売女と金
石垣島にもあるのだが宮古島で今急拡大している業種の一つが風俗業、要するにキャバクラや売春関連など、エテ公向け商売である。人間の性欲、特に男のそれは涙が不可避なほど哀れで滑稽であるが馬鹿にはできない。それに起因する行動力は経済に影響を与えるほどで、それはたとえ人口が5万人弱の田舎でもこの類の商売はひっそりと、しかし確実に根付くほどだ。しかし大抵は田舎の風俗は何とも寂しい世界であり、場末のスナックのようなところが主要な施設である場合がほとんどであろう。しかし今の宮古島ではまさに異常事態と呼べる状況である。地元発行の無料観光誌を手に取ればすぐにわかるが、こういった雑誌の後ろの方にあるページはエライことになっている。
一言でいえば「気持ち悪い」。現物を見てもらったほうが早いだろう。
青い海には年齢関係なく惹かれる人も多いことだろう。そんな場所では恋の駆け引きも多くなるだろうし、男女ともに開放的な気分になり色恋沙汰も起きやすいいのは想像に難くない。しかし美しいビーチと売春産業の間に直接的な因果関係は無いはずだ。またこの島の本来の田舎具合と人口を考えてもあまりにも低俗でギラギラした胸焼けのしそうな雰囲気の広告である。以前からこういった広告は目についていたがここ数年で一気に増えたと知り合いも含めた地元住民は口をそろえる。いったいなぜこうなっているのか?
納得いく説明は偶然会話をした地元民の説明にあった。現在不動産バブルとされる宮古島には仕事はたくさんあるが全国的な人不足もあって圧倒的に人が足りていない。宮古島内の人だけでは到底人材を賄いきれないため本州からもたくさん、それも高給で雇うとの事。クレーンなどの有資格者になると日当3万とかそれ以上になるので、彼らの宮古島での生活は羽振りの良いものになっていく。建築関係、特に土方と呼ばれる類の職業をしているものの中には結構な割合で、たとえ金があっても荒んだ生活をする人間が多いので、つまり酒と女が大好きな連中が比較的多いという事である。こういう連中が娯楽として求めるのが売春を含めた風俗業であり、よってこれを金儲けのチャンスと考えてヤクザや半グレと呼ばれるゴミ共が徐々に移住していると言われている。これが低俗な店が一気にこの数年で増えた原因である。またヤクザやゴロツキを含めて風俗業で働く男女ともに馬鹿が多いのは説明する必要もないと思うが、馬鹿に限って何故か青い海とビーチが好きなのでビーチや南国臭のある観光地にはこれらゴミ共がゴキブリのように寄って来て場の雰囲気を壊すのである。これが宮古島の活ゴミ問題、特にビーチ付近にそれが一気に増えてきた原因であろう。
オーバーツーリズム
宮古島の雰囲気を一番壊しているのが上のような日本人の移住者であるが、急激に増えて来た観光客やそれを相手にする商売人にも鬱陶しいのが以前と比べて明らかに増えてきた。
頻繁に見かける鬱陶しい連中にインスタ蠅がいる(この表現を思いついた人は素晴らしいセンスを持っていると思う)。海辺などの景色のいい場所はインスタ蠅の格好の餌のようだ。カップルや家族連れ、または男のインスタ蠅はたいして気にならないのだが、一部の若い女は非常に不快である。自撮り棒をもって必死になりいろんなポーズを取ったり作り笑顔をしている女は傍から見て実に異様である。それはまるで自閉症や統合失調症の末期の患者が見せる行動の様で、砂浜の一部を占領してカメレオンの如く高速で表情を変えて動画や写真を撮っている様子は見てるものに嫌悪感を沸き上がらせる。そこまでして他人の称賛を受けたいのか?さらに大抵の場合その場所に30分以上、場合によっては1時間以上居座ってこういう事をしているのでうんざりだ。ゆっくりと穏やかな気持ちでビーチと海を眺めている人間の横で繰り広げられる精神的に不気味な光景、しかもどうしても視界に入るので心が休まらない。因みにこれら悪質なインスタ雌蠅は大抵アジアから来た観光客の様に思えた。残念ながら出身国はいまいち推測できなかった。
インスタ雌蠅1 インスタ雌蠅1 インスタ雌蠅2 インスタ雌蠅2
インスタ雌蠅と双璧をなす鬱陶しい連中として、欧米では時代遅れになった純白のウェディングドレスを着た新婚カップルと、その記念写真を撮る取り巻きの写真屋たちだ。こいつらは昔からいたが、最近は地元の人間だけが行くような少し穴場的な場所にしかも同時多発的にたくさんやってくる。傍から見てる分には上記のインスタ雌蠅の様な不気味な雰囲気はなく、むしろ以前は微笑ましいとさえ感じていた。しかし最近は実に鬱陶しい。インスタ雌蠅のようにこちらを精神的に不安にさせるような動きは見せないものの、ビーチの一番良いところを占領して結構な時間そこに居座るのである。この連中にビーチを占領する権限などは一切ないのだが(沿岸沿いは原則的に国の物)そうはいっても周りにいる人は遠慮するであろうし、連中もそれを見越しているのである。しかも新婚カップルを大真面目にいろんな角度で取るために、つまりカメラの射程距離が長く、そのためビーチのかなり広い範囲を実質的に占領してしまうのである。写真屋共はこれを飯の種にしているので幾分殺気が立っていることもあり、私が良い場所でのんびりと座っていたりすると真横を嫌がらせでもするようにブスっとした顔でうろうろ歩いたりする。
男友達を呼んで皆で男用モッコリセクシービキニを履き周辺を歩いてやろうかと思う。別に違法じゃないですし(^^)
新婚記念撮影 純白のウエディングドレスは欧米では古臭いと思われている。ただ流行は変わるので。またいつか流行るかもしれない。 カメラマンとカップル。男の水着の紐に注目(クリック拡大) 彼の水着の紐は撮影中ずっとこの形状を保っていた。
一番の厄介者
これまでの説明である程度理解していただけると思うが、宮古島バブルと称される状況の中で一番厄介なのは家賃などの物価の上昇や怒涛の勢いで流れ込む中国人を筆頭とした外国人観光客だけではない。地元民が一番現実的にストレスを感じるのは実は本州からやってくる活ゴミ日本人たちである。しかしなぜ出来損ないの馬鹿に限って南の島に来たがるのだろうか?私は日本に住んでいた時は東京や大阪という大都市圏に長く暮らしていたので、実際都市部に住んでいる人間、特に学のない馬鹿に限ってどういう訳か南の島に幻想を持っているという事実を目の辺りにしてきた。
私の推測だが、連中は知能の低さを極めているために、都会の競争の激しい窮屈な社会に自分の居場所が無いと感じ、都会の価値観を憎み、常夏で明るい幻想的な南の島へ逃げ出したいといった希望を抱きがちなのだろう。そしてそういう南の島なら自分らしく生きられると考えているのだろう。だがここではっきりと言わなければならないことがある。たしかに都会での競争からストレスから逃げたい気持ちはわかるし、また都会では他人と比べられる機会も多いので嫉妬やコンプレックスなどの精神的な悩みに巻き込まれることも多かろう。だが、これら南の島や国に幻想をもって移住をしようとする馬鹿どもは大抵の場合自分の人生が上手くいかないのをほぼ100%社会のせいにして自分で努力をしてこなかった連中である。社会を変えるために政治を変えてやるだとか、知識を得て社会に良い影響を与えるために学問に打ち込んでみるとか、社会問題に関するボランティアに参加するとか、とにかく何でもいいので無数にある深刻な社会問題に対して正面から向き合う方法はいくらでもあるはずだが、こういった連中はそんなことをする根性はないくせに「根性焼き」などと言って自分の体に自分で火傷を負うような自傷行為を行う矛盾した救いようのない精神疾患を発症した、スターリンや毛沢東もびっくりのキチガイなのである。これら歴史上の政治犯罪者でさえ、ある程度の知能としたたかさを持っているのでそのような地位につくことが出来たわけで、こういった歴史の恥部とされる人物より下級の人間であるというのは何たることだろう。このような連中は人畜として利用だけして、あとは畑の肥やしにでもするのが適当でなかろうか。
活ゴミが抱く、淡い夢
実は馬鹿に限って南の国に幻想を持つという現象に気が付いた後に、似たようなことがヨーロッパに移住してくる一部の日本人にも当てはまることに気が付いた。ヨーロッパにはそこそこの期間住んでいるが、数多くの移住してくる日本人も見てきている。日本企業からの派遣員や、能力があってヨーロッパ現地企業から職を勝ち取った人以外の殆どはビザ取得のためにあの手この手を利用しようとする。どう見ても本人の能力が大したことが無いのにヨーロッパ先進国で定住ビザを取得できている人たちの大半の取る手法は、日本人女性に多い、ヨーロッパ人男性との結婚という方法と、もう一つは知能のレベルはあまり要求されない日本食レストランでの就職を通じてのビザ取得だ。前者の方はすでに説明したが、後者については大まかに話しておこう。ヨーロッパの各地にある日本食レストランでは奴隷のような環境で働かされている日本人をよく見かけた。特に日本人が経営するすし屋などにはその例が多い。一方そういうところで働いている日本人にはなぜか変な連中が多く、要は日本国内で負け組とされる輩であった。いや正確には負け組というのは正しくない。そもそも、そういった社会の競争の場に近づくことさえ無理な、生まれた瞬間から場外立ち席しか与えられないことが決まっているような人たちであり、一種の異常者といったほうが正しい気がする。何故そんな連中がわざわざヨーロッパに目をつけてやって来るのかと実に不思議に思っていたのだが 、あとから分かったのは沖縄諸島に移住したがる上記の様な活ゴミと全く同じ動機であるということだ。要するに「海外なら自分の人生は輝く!」などといった妄想にとらわれた心に闇を抱えた人たちである。自分の人生が上手くいかないのを全て日本社会のせいにして、ヨーロッパ(や他の海外)に勝手な妄想を抱き群がってくるのである。
最後になるが、日本食レストランにも普通の感性を持った常識的な日本人も働いているし、ヨーロッパの水商売で職を得ている人たちのすべてが変だと主張するつもりはない。ただ変な奴の割合がやたら多いのである。これについては他の機会にまた書いてみたいと思う。
冒頭にも書いたが、人であろうがサナダムシであろうが無機物であっても、各自夢を持つのは自由だと思うし、またそれは各自の生きる目標としての活力を与えるのなら、むしろ夢というのは前向きに生きるために必要なものだと思う。しかしそれには重大な条件がある。他人に迷惑をかけないなら、という前提があってこそだ。他人の権利や幸せを侵害しない夢なら好きに追えばよかろう、少々こちら側に迷惑がかかっても、それがその人にとって重大であるのなら、少しぐらいこちら側も我慢して大目にみても良いのではないかとも思う。またこの類の寛容な精神は社会の潤滑油として重要でさえある。 だが、それでも限度があるのは言うまでもない。
精神病患者に見えるインスタ雌蠅や、うざい記念写真屋などはまだギリギリ我慢できる。一方、上記の活ゴミ共の抱いている南の国に対する幻想や夢とやらは自己満足の極めた他人に迷惑のまき散らす事ばかりであり、社会の役に立つことなど微塵もしない(というかできない)。
例えるなら道端に長期間放置されて、乾燥しきって転がっている犬の糞と、自分の玄関先に突如として現れたホームレス捻りたての湯気の上がる巨大な大便ほどの違いがある。どちらも不快だが後者の方が圧倒的に不快というか、有害であるのは明白だ。直ちに排除されるべきだ。我慢できることにも程度があるのである。
宮古島をはじめとする幾つかの沖縄の離島で起きている問題は単純ではないが、実質的にそこで生活する者にとって非常に害悪なのはこの様な活ゴミたちの存在であり、この連中を排除するような政策を据えないと、のどかで美しい風景を売りにしたこれら島々の観光業は、どこかで行き詰まりを見せるであろう。実際に目耳にしているが、リゾート化で潤っているのは莫大な投資のできる本州の企業と中国人観光客を誘導して自分達だけで利益を囲い込んでいる中国・韓国企業と一部の日本人だけだ。ほとんどの地元民は環境の悪化に不満を抱くだけの状況になっている。まぁ、こういう状況を生んだ地元政治家を当選させた彼ら自身にも、また責任があるのだが。