ここでの話の趣旨は日本を除くアジア地域の国出身者のほぼすべて、特に中国と韓国という恥知らず民族が欧米先進国で日本という国に対してとっている行動についてである。
ちなみにこの話題について説明するために欧米諸国に仕事や旅行に行くときは必ず関連する写真を取っていた。ただ私はどうも普段から写真をかなり多く撮る癖があり、そのため一応わかりやすく年月日ごと写真データを整理しているのだがそんな努力もむなしく肝心の証拠写真と言うか、参考写真がこれらの大量の写真の中に紛れ込んでしまい見つけるのに一苦労している次第である。しかし写真を探し続けていても限が無いのでとりあえず記事だけ書いてみようと思う。また一応いくつかの写真は見つけたので、それらはもちろん本文中に差し込んだ。
さて、皆さんに簡単な質問があるのだが、アジア人の定義とは何だろうか?または「アジア」とは?
地理学的な蘊蓄を私がここで垂れ流すよりも個人で検索して調べてもらえればすぐにわかるだろうし、調べなくても直感的にわかる人も多いと思うが、「アジア」そして「アジア人」というのは非常にあいまいではっきりしない概念である。 アジアというのは気候も文化も宗教も全くまとまりの無い非常に広大な地域だ。 これはもともと欧米人が漠然と持っていたユーラシア大陸という概念がもとになっており、この大陸を大雑把に二つに分けた視点での区別である。またこの区別が始まったのはだいぶ昔の事のようで、現代にいたるまでこれと言ってこの表現に対しての大きな修正はされていないようだ。学術的には細かく分類されてはいるがやはり「アジア」というおおざっぱすぎる表現はいまだに多くの人に使われている。話は逸れるが大学で務めているような教授や院生の大半もそんな感じであり、文化人類学とか国際政治とか、地理的な意味での「世界」を研究題材にしている学術関連者でもない限り、「アジア≠ヨーロッパ」程度の認識しか持てていない人が多いのが現状である。まぁ、私の個人的経験から言うと大学教授とか、大学院卒業者のオツムの汎用性にはあまり幻想を持たないほうが良いと思う。自分の専門分野以外に対しては驚くほどの非常識さを持っていることもあるのが学術関連に関わる人達の実情である。
欧米で目撃するアジア人と日本?(アジア?)っぽいもの
本題に入ろう。欧米先進国に住んだり旅行に行くことが多い人は気づいているとは思うが、これらの国で見られる日本的?もしくはアジア的な物や人たちを目撃した人もいるのではないだろうか。少し挙げてみよう。
- 謎のすし屋
寿司屋と言うべきかどうかわからないが看板には確かに寿司(Sushi)と書かれている。しかもネーミングセンスが色々とうざい。挙げるときりがないが、例えばこんな感じである。- Sushi king
- Geisya Sushi(芸者が握ってくれるの?)
- Asia Sushi(え?)
- Miyako
- Sushi lovers
- Golden Sushi
- Sushi shop(そのまんまである)
- Sushi Ogasang(なんだOgasangて。ムハンマド・ピザ的な)
- Sushi garden
- Happy Sushi (ハッピーとは誰のことですかね?経営者の頭?)
- Sushi world
- 日本語的な店名を持つ非日本食レストラン。
とくに中華系・韓国系レストランに多く、たまにタイ・ベトナム系もある。日本食はほぼ売っていないが店名がTempraとか。大抵はどう見ても店構え自体が中華系である。例えば寿司とトムヤンクンをスパイス臭の充満する小汚い店内で一緒に提供してたりする。 - アジアショップと呼ばれる怪しい雰囲気の漂う小汚い食材店
アジアショップとは言っても実際に扱っているのは中華圏、タイ、ベトナム、インド、あと日本の商品が主で、しかもほとんどは中華圏の商品に偏っている。同じアジア地域に入る中東アラブ諸国に関連する商品は皆無に近いし、イスラエルの商品も無いに等しいといえる。 - 髪を青色とかピンクに染めた若いアジア人女性
必ずという訳ではないが若いアジア人女性の一部には日本のアニメに出てくるキャラクターの様な感じで髪を染めている人たちがいる。それは決してパンクの様な攻撃的なものではなく、どちらかというとコスプレ的なおしゃれ感を目指しているように見える。とは言え大抵は日本のコスプレイヤーの様な完璧さは皆無で、普段着で髪を染めただけであり、通常彼女たちからはどことなくダサい雰囲気が漂っている。 - 一見して日本人女性に見えるモンゴロイド系アジア人
どういう事かというと要するに服装や化粧が日本人的という意味である。日本人かと思い少し注意していると言葉が全然違うので驚くことが偶にある。 - 現地白人が考えるアジア人と文化
アジア人なんて人種は存在しないのだが欧米諸国には「アジア」的なステレオタイプとしての文化的なシンボルが色々ある。しかしよくよくそれらを見ると色々と違和感を感じるのである。 - 日本食レストランや日本文化関連の集まりにやってくる親し気なアジア人。
中国・台湾・韓国・香港・タイ・ベトナム・たまに中東の人たちなどが日本文化関連のイベントなどにやって来ては親しく参加することが多々ある。また参加する際は白人のパートナーを伴っていることも割とある。別にそれ自体は悪いことではないが、数年こういう何気ない風景を見続けた後にこの参加者の一部に対して妙な違和感を感じることがあった。
他にもいくつかあるが今思いつくのはこんな感じだ。これだけではまだ話が抽象的だったりして不十分なので、それぞれについてもう少し立ち入りながら話を進めたい。そうすることで私の言いたい一定の特徴というか要点とすべき点が見えてくる。が、長々と話をした後にやっと結論を言い始めても疲れるような気もするので、とりあえず一番大切な点を先に説明しておこう。それは何か。とにかく覚えておいてほしいというか、気に留めておいてほしいのは欧米先進国に住んでいるアジア人のかなり多くが日本に対してコンプレックスを抱いており、日本人的なものを取り入れて装おうとしたがることである。特にその傾向は中国系と韓国系に多いという事だ。
日本食レストラン
ではもう少し話を進めていこう。まず謎の寿司屋(もしくは他の和食屋。鉄板焼とかラーメンとかも同じ)についてであるが、この問題は割と日本国内でも知られているので知っている人も多いと思う。欧米で見られる寿司屋には大まかに三種類に分けられる。
- 日本人経営者の店(寿司屋もしくは日本食店)
- 現地白人系の運営する店
- 中国、韓国を筆頭にした東アジア系が運営する店
店の数が一番少ないのは間違いなく1で、その次が2である。最後の中国人または韓国人が運営する寿司屋が最悪である。一応言っておくと日本人が経営しているからと言って良い店という訳ではない。むしろ日本人の標準的感覚からすると悪いことが多い。私は日本人だからといって日本人の行っている事を無条件に称賛するつもりは更々ない。正直欧米で見られる日本人経営の飲食店は高い割には味はつまらないことがほとんどだし経営者の人間性も程度が低いことが多い。所詮水商売であることを忘れてはいけない。一部日本人の多く住むヨーロッパ大都市などでは美味しい店もあるが、それでも日本国内では標準的なレベルの店であることがほとんどで値段設定もかなり強気である。
次の現地の白人系の運営する日本食レストランや寿司屋についてだが、変な店が多いが彼らなりの解釈で日本食文化をエンターテイメント的に提供しているといった感じである。そういう意味では何だかおかしな店であっても一応は一種の敬意が払われているというか、商売としての金が目的なのはもちろんだが、同時に日本文化に対して興味を持った上での商売と言えよう。日本にだって日本人向けに曲解してアレンジされた洋食店が多数あるのと同じだ。
ちなみに次の写真はルクセンブルク市内のとある日本食レストランで出された料理だが、サーモンの刺身が乗った皿が、汚らしくぎゅう詰めされた巻きずしなどに囲まれている。そしてなんとそこから炎が勢いよく立ち上っている有様。日本人が見ると一種のコメディであろう。実際日本のとある寿司屋でこの写真を板前に見せたところ彼は笑いを堪えられない様子だった。この類の料理は要するに週末の飲み会など、パーティーの様な雰囲気に合わせた一品なのである。このレストランはルクセンブルクにあるが、他の欧米諸国に行っても現地の白人たちが運営する日本食店というのは程度の違いはあるが大抵こんな感じであり、欧米では普遍的な風景であるといえよう。そうそう、あともう一つの写真はリスボンのおしゃれなショッピングモールにあった何屋か分からない料理屋。店の雰囲気はファストフードっぽいけど、割と洒落た感じでもある。しかしその一つの料理名(写真左側)は何と「サーモン焼き鳥」。焼き鳥という単語の意味を一度でも調べたことはあるのだろうか?他にも「シーフード焼き鳥」みたいなのもありました。
動画を取ればよかった サーモン焼き鳥・・・。ホタテ牛丼みたいな? 絶対に焼き鳥の意味わかってない。
既に述べたが欧米で目に入る寿司屋を含めた日本食店の中でも色々な意味で最悪なのが中華系と韓国系が運営する寿司屋である。いろいろ突っ込みどころが多いのと、考え出すとイライラしてくるので注意しないと文章の纏まりがなくなってきそうだ。
とりあえずこれらの店で出している寿司と呼ばれるものについてみてみよう。 次の画像はパリのの日本食街と呼ばれる地区にある寿司屋である。 実際にここで見られる大半の日本食店はどう見ても日本人が運営して言えるようには思えない。しかし実際に体験してみない事にはわからないので大方予想ができるとはいえ金を捨てる気持ちで入店してみた。
売られている寿司はほとんどの場合、次の写真の様にどれも寿司の形だけを真似た感じのものばかりで、日本の激安スーパーで売られているような微妙なものばかりだ。握りは通常サーモンとマグロの二種しかなく、他のネタの握りがメニューにあったとしても普通に不味いだけの事が多い。着席してすぐに気が付いたのだがこの寿司屋は画像の通り色々とおかしい。日本人はだれ一人働いていなくせに日本的な物(装飾品やポスター)が適当に並んでおり、一方店内には中国の歌謡曲が流れている。ネオンライトのような赤と青の照明がキモイ。店員の動き方も日本的にものとは正反対の雑過ぎるもので、しばらく不快なこの連中を見ていたのだが、なんとその店員の一人が客席に座ってくちゃくちゃと音を立てながら昼食か何かを食べ始めた。下品である。たまに他の店員と中国語の様なもので大声で話している。やはり下品である。ちなみに客はアジア系もいるが日本文化に興味のあると思われる現地フランス人がそこそこ来店している様だった。
不味くはないがこれで約35€に納得できる日本人は皆無であろう 青と赤のネオン調の照明・・・😧 赤ちゃん用食器と見間違えるような白いプラスチック製のお椀に入った味噌汁とキャベツのサラダ。味噌汁の具は椎茸じゃなくシャンピニオン。 これは普通の餃子だった なんか汚い店内。あと奥の客席で眼鏡野郎(店員)が音を立ててなんか食ってる。

他に特徴的なのはアジア系の寿司屋に限ったことではないのだが、巻き寿司の種類が異常に多い。その理由は巻き寿司は難易度が低い割には色々種類を増やせるからだ。要するに巻くことが出来れば具材としてなんでも入れることが出来るし、どう考えても寿司と呼ぶに無理があるような無茶苦茶な具材をいれても輪切りにした時には切り口が一応綺麗で華やかに見えるからだ。またこの類のアクロバット巻きずしは脂っこい具材を入れると意外と何でもおいしくなる。一番有名なのはアボカドだが、揚げ物や脂っこい肉を入れてもいいし、固めのクリームチーズが入っていることも多い(これは正直不味い)。ソース的な感じでマヨネーズとか照り焼きのタレなどの味の強い液体調味料を使っても良い。もしくは酢飯そのものに各種タレの様なものを混ぜるという方法もある。ちなみにこの系統のとあるパチモンの寿司を思い浮かべる人もいるかもしれない、そう韓国のキンパがまさにこの類のものだろう(不味いと言っているわけではないが)。
さらにその先を行く亜種としては、寿司を巻く際に海苔を使わずなんとライスペーパや葉野菜などを使う事がある。ライスペーパーなど使ったりするともうそれはベトナム風の生春巻きに飯を入れただけという感じとも言え、 奇想天外にもほどがあろう。
全く一体何を考えてるのだろうか?

しかしふと考えてみると1980年代と比べるとインターネットが発達しているわけで、調べようと思えば幾らでも本当の寿司について調べられるはずだし、日本への旅行者が爆発的に増えたことで本場の寿司を経験した中国人・韓国人・その他アジア人も十分いるはずである。それなのにこの有様を見るとこの連中の提供している寿司がなぜこんなにレベルが低いのかが不思議にさえ思える。真似をするにしても、もう少し上手くやればいいと思うのだがどうもそれができないらしい。彼らが単に馬鹿であるという事か? 少なくとも賢いとはいえなさそうだ。

先述のパリの日本食街の近くにはおそらく日本政府関連と思われる日本観光のための情報センターのような施設があるので日本人が多く関わっているように錯覚するが、先ほども言ったようにこの辺にある寿司屋をはじめとする日本食店の多くは実際のところ中華系が多い。日本とは全く関係ないくせに何一緒に肩並べて商売してるの?この連中は。
次の3枚の写真はルクセンブルク中央駅付近にあった謎の和食屋。どうやら鉄板焼きをメインにしている模様で、店の佇まいやデザインセンスは割と都会的で清潔感はある。中華系に比べ韓国系の和食店はもう少し清潔であることが多く感じるが、実際誰が経営しているかは不明。ただはっきりと言えるのは経営者は日本人である確率は低い。日本人ならこういう店名を付けたいと考える人は少ないでしょう。
次もルクセンブルクにある寿司屋。これは偶然SNS上の広告などで見つけたもので実際に私が足を運んだわけではないのだが、一瞬目に入っただけでもその滑稽さに目が釘付けになってしまい、参考として取り上げるべきだと思った次第。その店の名はGolden Chopsticks(金の箸)。ほぼ中華系だと断定できるのは中華系はGoldenという単語をやたらと使いたがるから。細かく説明していると馬鹿らしくなってくるのだが以下の画像を見ていただければなんとなくわかると思う。
似た雰囲気の盛り付けパターンの写真が多い事を考えると、どうやらこいつは皿の上にパラパラと巻き寿司を並べるのが芸術的と思っている模様。幼稚園児の考えたフランス料理の盛り付けの様なセンスである。 なんか真ん中の寿司ポテトチップスが乗ってるんですけど オシャレ・・・? なんかキモイ・・ 小学校の調理実習? なんか怖いんですけど 何だこいつは・・・その手に持ってる箸を奪い取って両目に突き刺してやりたい。
次の日本食街はベルギーだった気がする。欧米の日本食レストランの外観の雰囲気が分かっていただけると思う。どこかアメリカの古い映画に出てきそうな前時代的な日本の雰囲気だが、実際のところ今でも大半の店の外観はこういう感じだ。絶対という訳ではないが赤色と黒色が多用される傾向にあると思う。
次のベルギーにあった日本食店はほぼ間違いなく日本人が経営している事が分かる。何故なら店名のセンスや、何気に(日本人の使う)日本語で何か書いてあったりするので雰囲気でほぼ断定できる。
以上は大雑把だけれども欧米で遭遇する似非寿司屋などについて説明してみた。おかしなことに和食とほぼ関係ないような非日本人系アジア人が運営する店にも日本語っぽい名前が付いていることがある。やはりそういう店は中華系・韓国系に多いのだがこれはレストランに限ったことではなく、たまにタイのマッサージ店だったりすることもある。完全に日本語だとは確信は持てないのだが「KANSAI(関西?)」とか「NATSUDA(夏だ?)」と言った感じであり、ローマ字スペルを見てもかなり日本語っぽい。
レストランについての余談だが、似非寿司屋に限らず中華系レストランでSAKE(酒、要するに日本酒)がメニューに載っていることが多々あるのだが、試しにそれを頼むと日本酒とは全く関係ないものが出てくることがある。銘柄など調べなくてもそれはすぐにわかる。何故かと言うとアルコール度数が尋常ではないからだ。間違いなく30度もしくはそれ以上あり、むしろ焼酎とかの類であろう。またそうであっても本当の焼酎かどうかも疑わしい。店側が知りながら売っているのかどうかは不明だが、要するに客観的に見て嘘をついているのである。さらにこれも中華系の店に多いのだがその際に使われるお猪口を見てほしい。一緒にこのレストランに行ったルクセンブルク人の友人がにやりと笑い、「それに気付いた?」と聞くのでふとお猪口を除いてみると一瞬私の思考がが凍り付いた。写真の通りではあるが実に下種である。
あとこれを運んできた店員は(中国人)女性だった。よくよく考えるとこんなものを運ばせるとは(女性店員に対しての)セクハラと思うのは私が堅物なのか、それとも店側がおかしいのか、そもそも女性も気にしていないのか、考えると止まらなくなるので当日は気にしないことにした。だがおそらく現地ヨーロッパ白人女性は絶対こんなもの運びたがらないだろう。店側が強制するなら訴訟もあり得ると思う。日本についてある程度詳しいヨーロッパ人女性にこれを見せて感想を聞いてみたのだが、一瞬呆れた顔をして次に「中国人というのは滑稽だね」といったようなことを言いながら嘲笑っていた。
さて、少し考えてほしいのだが日本について詳しくない現地ヨーロッパ人がこの「SAKE」を注文したら日本に対してどういうイメージを持つだろうか?
お猪口の底にはよくよく見ると裸の女性が股を広げている絵が・・。 不味くはないが妙に大味の中華料理。特にまた食べたいとは思わない。
アジアショップ
アジアショップと呼ばれる店に行ったことはあるだろうか?名前からして初めて聞く人には謎の店に感じるかもしれない。それは単に「アジア」という表現が広すぎるのが問題の原因の一つであろう。最近になって多くはないものの日本でもこう呼ばれる店があるようで驚いたが、とりあえず欧米におけるアジアショップとはアジア系の食材品店という意味だ。さてこの類の店の経営者は大抵中華系であり、他には韓国系、ベトナム系、タイ系などが続く(この比率は国によって若干違うようだが中華系が一番多いのはどの国にも共通している事の様に感じる)。店の外見は正直言って薄ら汚いことがほとんどである。また何故か必ずと言って良い程招き猫が窓際に置かれている。さてアジア関連の食材が売られていると思い、このアジアショップなる店に初めて訪れた人の中には違和感を感じる取る人もいる事だろう。というのは実際にアジアと言っても売られているものがかなり限定というか、偏っているからだ。この記事の初めの方でも少し述べたが主に見つかるのは中華系食材で、それにタイやベトナム系の食材品が続く。他には韓国系と日本系の食材が一部の棚にまとめられているといった具合である。逆に言うとそれ以外の国の食材はほとんど無いに等しく、アジアショップと言うが正確には東・東南アジアショップとでもいったほうが正しいと思う。
さらに文化的に考えても何かおかしい。特に違和感あり過ぎるのが日本の商品がこの「アジアショップ」で売られている事だ。なぜなら、東・東南 アジア地域の食文化について考えると日本は間違いなくそこには含まれないからだ。一方韓国、ベトナム、タイなどは広い意味で中華料理と類似性があり、スパイスや調理法など共通する点も多く見つかる。一方日本料理は地理的要因によって一部に共通する食材があったとしても他のアジアの食文化とは断絶していると言って良い。これについては旅行と食べ歩きが好きな人でなくても割と理解できることと思う。そもそも(地理的な意味で)同じアジア地域に属している日本の中に「アジア系料理」なんて名前のレストランがあったりするが、無意識のレベルで日本人は他のアジア目食文化と日本料理が違う事を理解しているからであろう。
一方欧米先進国には日本関連のみに絞った食材店はあまりないのだが、もし見かけたとするとアジアショップなんて名前は絶対に使わず「Japanese shop」もしくは「Japanese groceries」のような感じでとにかく「日本」という単語を強く前に出すのが普通だ。そこには「アジアショップ」という謎の汚い店からしっかりと自身を区別したい意図も感じられるし、そうして当然であろう。さらに実はインド関連の商品もほとんどアジアショップでは売られていない。せいぜい一部のスパイス程度だ。また食文化的にも「インド料理」は中華圏食文化とは違うものとして広く受け入れられているのは知っている事だと思うが、要するにインド系の店は地理的にアジア圏に含まれていても実際には「インド料理」としてしっかりと区別されているし、インド人も自分たちの食材店をアジアショップなんて呼び方はせず、あくまで「インド」という単語を強調する。いや、食材店だけでなくレストランも自分たちの提供する料理を「インド料理」と呼ぶ。当たり前のことだと思うかもしれないが、この当たり前のことが「日本」と「アジア、中国、韓国」に関わると殊更に妙な状況に巻き込まれているのだが、それについてはこの記事の終りの方で述べる予定。
欧米映画の中の日本人みたいなアジア人と、日本人女性みたいな中華系アジア人
欧米映画の中の日本人みたいなアジア人
欧米先進国で住んでいるとそこに住むアジア人、正確には日本人と同じ人種のモンゴロイド系アジア人のファッションにいくつかの傾向があることに気付く。まず欧米映画の中の日本人みたいなアジア人、についてだが、これだと何を言っているのか分かりにくいであろう。具体例を出してみよう。町中を歩くとたまにアジア系の若者、特に女性に多いのだが髪の色を染めたりしていてしかもそれが水色やピンクだったりする。ほかにも丸く大きな眼鏡をかけてみたり、キーホルダーアクセサリの様なものをぶら下げてみたり。一見して単なるオシャレの一種だと思うであろう。たしかにそれには間違いなのだが、しかし何を目指してこの類のファッションで身を固めているのか、初めのうちは私にはわからなかったし、そもそもあまり気にもしていなかった。
さて服を例に考えてみよう。どんなに適当な服装であっても自分で金を払って買う限り、その服のデザインを選んだ理由は意識的であろうと無意識であろうとほぼ間違いなくその人の好みが反映されるものである。これを読んでいるあなたも自分の持っている何でもない普段着を思い浮かべてほしい。人に見せないような部屋着であってもいい。一見して自分にとって何でもない、つまらない服と思っていても実は何かしら自分の好みや意見が反映されているの気が付くはずだ。特に現代は安い服であっても非常に多くのデザインの服が選択可能となっており、表面上の「デザイン性」だけで言うなら値段はあまり関係ないわけで、たとえつまらない安物であってもほぼ確実に自分の嗜好が反映されるのである。
上記のアジア人のおしゃれの仕方についてだが欧米各国に住み始めて数年後に、何がきっかけだったかは覚えてないがハッと気が付いた事がある。それはこれらアジア人(特に若い女性)の服装や化粧は日本人を真似たものであるという事である。いや、しかしこれは正確な表現ではない。というのはほとんどの日本人は彼女たちのような服装や化粧をしない。全くいないわけではないが決して普通の日本人の若者のするファッションセンスではないという事だ。ではどういう事か?
正しく言うと実は、ハリウッドをはじめとした「欧米映画の中の日本人」もしくは「ステレオタイプ的な日本のアニメキャラ」を目指したファッションなのである。
実際のところは両者が混ざったような感じでおしゃれを決めていることが多く、しかも大抵は失敗していて中途半端になっており、ただ小汚い、といった感じになっていることが多いのだが、それはともかくこれはいったいどういう事なのだろう、と思う人もいるかもしれない。ゆっくり考えてみるとそれほど難しいことではないのである。初めの方に 、
欧米先進国に住んでいるアジア人のかなり多くが日本に対してコンプレックスを抱いており、日本人的なものを取り入れて装おうとしたがる。
といったようなことを書いたが要するにこれが理由である。ただやや面白く感じるのが彼ら彼女らの殆どは日本に行ったことが無いし、たとえ旅行などで行ったとしても表層の部分しか体験できないわけで、すると日本人の日常生活のレベルから身につく常識的なファッションセンスなどは知らないし理解できないのである。ではどうするかと言うと結局彼ら彼女たちにとって一番参考になるのは映画や有名なアニメの中の日本人であろう。そしてもう一つ非常に大切なことがある。そもそも彼らは日本人の真似をして何を得るのだろうか?これも大切なポイントであるが、実は単純に日本人のファッションが好きだから、という理由だけではないことを強調しておこう。どういうことか?彼ら彼女たちにとって欧米先進国での自分の地位の向上のためには欧米の白人の間で強く認知されている肯定的な意味合いでのステレオタイプ的日本人を身に着けのが早道なのである。それが彼らの大きな動機である。
実はこのアジア人たち同様、欧米先進国の白人層にとっても日本人のイメージというのは映画やアニメであることが多い。この現地白人層にとっても欧米系企業による映画や、現地のマスコミを通して日本文化や日本人像を知ることがほとんどだ。一見情報が溢れかえっているように見えるインターネット上でも、当然色々な情報はあるのだが実際のところ偏っていることが多いのでやはり日本文化と日本人の感性を知るのには日本に数年住むのが一番確実である。そういう意味では欧米先進国に住んでいる白人だけでなく、そこに住むアジア人移民の両者がほぼ同じ情報源から日本人像を得ているわけだ。
少し古いのだが例えばWASABIという映画をご存知であろうか?これに出演している少女の様な人物像を真似ているアジア人も一定数いる。このWASABIという映画は欧米白人でも知っている人がある程度いるので、欧米に住む現地白人たちはアジア人の若い女性はこの映画に出てくる少女(広末涼子)の様なものと勘違いしている人もいるのと同時に、こういうサイバーでコケティッシュかつキュートな日本人像を独特で魅力的だと考える欧米系白人男性が間違いなくいるのである。 いや、正しく言えば放映から20年近くたった今でも今もこの映画内の少女的な「ティーンエイジャーのアジア人」というのを思い浮かべる欧米人は十分いて、この映画そのものを知らなくても、また若干の修正や変化はあるものの、現役の日本人的(もしくはアジア人的)ステレオタイプの一つとして確立しているといっても大げさではないだろう。少なくともこの映画の少女には悪い意味でのアジア後進国的な不潔で貧乏かつ野蛮な土人臭が一切ない。それだけでも欧米で尊重される「ユニーク」な価値があり、アイデンティティとして確立されているのである。

手元にあるこの映画を久しぶりに少し見てみたのだが、改めて思ったのだが私が上で説明した「欧米人から見た日本人の若者像」という意味においてあまりにも完ぺきな参考例だと思たので以下にスクリーンショットを多数張り付けてみた。やや大げさな表現もあるとはいえ実際にこういった感じの日本人の若者はいたし(特に2000年代の渋谷・原宿)、現在も一定数いてそれは確実に日本文化の一部である。同時に、くどいと思われても言っておかなければならないのは、あくまでこれは日本発祥の文化(いや、その時代の社会現象と表現する方が妥当かも)の一部であり、他のアジアの国だけでなく全世界のどこにもこれと同じもしくは似たようなステレオタイプ的文化の起源はないという事だ。(ちなみに私個人的にはこういう風貌のファッションや文化が特段好きという訳ではないことを余談ながら付け加えておこう)。
このような事情でこれらアジア人たちは実際の本物の日本人を真似しなくても映画やアニメに出てくる(日本人にとってはやや特殊な)日本人像を目指したファッションを目指せばよいという事になり、その結果前述の様な風貌のアジア人が欧米先進国に出現するのである。
本物の日本人女性みたいな中華系アジア人
ではもう一つの、本物の日本人女性みたいな中華系アジア人について説明してみよう。近年日本を訪れる中華系の旅行者が増えているのは知っての通りだと思う。ちなみにここで言う中華系というのは基本的に中国大陸からの中国人の事だが香港はもちろんの事、シンガポールやバンコクやクアラルンプールの様なアジアの大都市に住むいわゆる華僑と言われる人たちも含まれる。さらに韓国もここに含めてる。韓国文化は独特だとか、ましては日本的だとか勘違いしている人もいるが歴史的・文化的にも韓国は間違いなく中華圏に入る。日本に似ているのは似ていると言うか日本の真似ばかりしているから表面的にそう見えるという事なだけで、日本的文化を韓国から消し去ると実際の韓国文化は非常に貧相なものであり、近代化前の中国の地方貧民街の様な文化と呼ぶべきかどうか怪しいものだけが残るというのが実際のところであろう。
話を戻そう。海外旅行によく行く人なら旅行先で中国人旅行者を見かけることが頻繁にあると思う。そういう場所でふと見かけたアジア人、特に女性だが、彼女らが一見日本人かと思いきや実は中国語もしくは韓国語などを話していて驚いたなんて経験をする人もいるのではないか。私の主観ではあるが特に2015年を過ぎたあたりから日本人と見間違うような非日本人が一定数増えているように感じるし、実際に知り合いの日本人からもチラホラとそういう話を聞くのでやはり私の気のせいではないようだ。私の友達のアメリカ人男性と中国人女性のカップルがルクセンブルクから半日ほど車を走らせれば着くような近隣国の地方都市に住んでいる。初めて私が彼女を紹介された時は私がアメリカに用事に行った時だが、その時は一瞬彼女のことを日本人だと勘違いしたし、たまたまその場にいたヨーロッパ人女性も同じコメントをしていた。前述の欧米の映画やアニメに出てくる日本人的な雰囲気を真似ようとして失敗しているアジア人を紹介したが、例外的に日本的ファッションの模倣に非常に成功しているアジア人もいるという事なのだ。そしてその例外がやや例外でなくなってきているようにも感じるのが昨今の情勢である(無論いつまで続くかは未知数であるが)。
こういう日本人的外見を持つアジア人は中間層以上の中華圏のアジア人女性に多く見られる。なぜか?最大の理由は彼女たちが日本のテレビ番組やドラマを多く見ることに加え、日本のファッション雑誌をよく読むからである。知り合いの中国人の中にも結構日本ファンがいて、日本のテレビドラマやアニメが好きな子が多く、しかしだからと言って所謂「オタク」のような雰囲気ではなく、むしろ垢か抜けて都会的な場合が多い。例えるなら日本人女性にもヨーロッパの映画が好きだったり、パリのファッション、北欧文化とデザイン、東ヨーロッパ圏のレトロデザイン、などを普段の生活にに取り入れる人も多く、こういう例は幾らでも例は上げられると思う。中華圏の彼女たちにとって日本文化というのはそういうものであり、特にある程度所得に余裕が出てきた現代の若者から30代までの中国人は子供のころから日本文化に何かしらの形ではまっているのである。時には彼女たち自身そのファッションセンスや着こなし方が日本から来たものと気づいてないこともあるようだ。そのぐらい中華圏の中間所得層以上の女性は日本文化に憧れ、その着こなしを参考にして取り入れているのである。
しかしなぜ「日本」なのか?ヨーロッパ各先進国やアメリカ的文化も十分日本と肩を並べるものであり、むしろ「洋服」と呼ぶように普段の日本人の着る服のベースはヨーロッパ的なものを起源としたものである。それだけでなく化粧品やその使い方も欧米文化で発展したものを基礎にしていることが多い(無論、欧米文化とは別に日本独自の歴史と美的感覚からくる化粧品もあるが、現代日本人の普段着は洋服を基準としている以上、化粧技術や化粧品群も欧米的なものが多いのはある意味当然の事であろう)。
その大きな理由として考えられるのは日本人の着こなす洋服文化というのはかなり洗練されたものであり、またファッションセンスも多岐にわたる。事実欧米をあちこち移動した経験のある私に言わせれば日本人ほどファッションセンスの良い国はまずないという事だ。さらに日本人の伝統的な習慣と言えるかどうかわからないが欧米系のファッションを日本人に合うように昇華させているので、場合によっては欧米が発祥であっても実質的に日本国内でその着こなし方が発展したファッションスタイルなどもある。またこれも非常に大事な事実であるが日本人とヨーロッパ白人では骨格や体形が違うのでVogueのような雑誌のモデルの出で立ちをそのまま真似てもうまくいかないことが多い。顔つきはもちろんの事、ウエストのくびれと胸の大きさ、肩幅の広さなどの体形は特に違いのある個所であり、こればかりは良い悪いとは関係なしにどうのしようもないことである。しかしここはやはり日本的強みと言えることであろうか、つまり欧米ファッション雑誌を読んでも日本人女性はそれをを日本人向けに(そして結果論的にモンゴロイド人種に合うように)上手く欧米センスを消化しているのである。そしてそういう事を初めにやり遂げただけでなく、欧米ファッションを完全に自国文化の一つとして変容・改善し定着させたのは(モンゴロイド系人種の住む)アジア圏では日本だけなのである。

私は決して日本以外のアジア各国に独自の服飾文化がないと言っているわけではない。しかしベトナムのアオザイや中国の伝統衣装もそうだが日本以外のアジア圏の国では欧米の様にセクシーさやゴージャスさを前に出すようにするのが一般的であり、また時に民族衣装的というかどこか原始的な香りがする。日本女性の様に女性的セクシーさだけで攻めるのではなく品や清楚さ、さらに都会的雰囲気も同時に醸し出すような独特のバランス感覚を持つ国はやはり日本以外にはないのである。いや、それ以前に日本以外のアジア圏の国だと日本的服装や化粧をしてもそもそも町の雰囲気と合わないともいえる。振袖を着てヨーロッパの街並みに立っても違和感を感じるのと同じで、日本的欧米ファッションは日本人の感性と都市環境、さらに生活習慣に合わせたものでもある。そういう意味で日本人の格好をしたがる中華圏などの中間所得層は日本的な都会感にあこがれを持っており、それに合わせたファッションをしたがるともいえよう。そしてその情景は日本のドラマやアニメ、ファッション雑誌を読んで得ているのである。そういえば知り合いの中国人が言うには中国の大都市、とくに上海や香港などには日本的なカフェ文化を真似た「日本風カフェ」があり、中には日本関連の生活スタイル雑誌や旅行雑誌だけでなく日本語だけで書かれた(つまり輸入した)ファッション雑誌までおかれていることもあるという。こういう場所には伝統的な中国的野蛮さを嫌う一部の中国人が通うとの事だ。
なぜ欧米的ファッションではなく日本的ファッションを真似るか? 白人とは骨格が違うため無理して欧米ファッションを猿真似するよりも日本文化的ファッションを猿真似すれば楽という側面も大いにあるが、 やはり一言でで指摘すると日本的ファッションは洗練されており、事実としてのアジア人圏内での唯一の先進国である日本的なセンスを身に着けることで自分もそのアイデンティティの仲間に入りたいわけだ。
たとえそれが外見だけであっても。
民度とコンプレックスの悲劇、そして日本人としては見逃してはならない事
いくらでも例として書かけることがあるのだが、一応ここまでの具体例だけでも (特に欧米に移住している) アジア人の多くが日本的文化を装いたがること、そしてその動機が大まかであっても理解はしていただけたかと思う。しかしもう少し伝えたいことがあるので、やや抽象的な話も含まれるが話を続けたい。
誰もがこの世に生を受けるときには親を選べないし同じく国を選ぶことも出来ない。私は日本人として生まれたが日本人そしてその文化に対して100個でも1000個でも事実に基づいた罵詈雑言を思いつける。がしかし、「相対的に」という条件付きで見るならば正直言って数ある地球上の国家の中でも日本人として偶然に生まれたことは幸運であったと正直に思う。また同じモンゴロイド系人種としても日本人という事で欧米先進国の中では別格扱いである。この条件をそのまま裏返してみよう。つまり日本人でないアジア人として欧米先進国で生きる、という事だ。すると少し想像力を働かせるだけで全く違う世界がそこに現れるのだ。単純にあなた自身が実は中国人とかフィリピン人であったという事にしてみると想像しやすいかもしれない。その条件で欧米先進国に住むことを想像してほしい。いや、日本国内でもよいかもしれない。自分の出身国がどこであるかというだけでたとえ先進国の人間と同じ服、同じもの、同じ仕事をしても、あなたのする経験は全く別のものになり、あなたに対して嫌でも国格という劣等感を植え付ける可能性が大いにあるのは想像できるであろう。
1990年代以降、多文化主義とかグローバリゼーション、インターネットの発達による国境を越えた人のつながり、EUとシェンゲン協定国の拡大、アメリカでの黒人大統領の出現など、国を超えた社会の平等化や流動化が一気に進んだ雰囲気がある。しかし実際のところは欧米先進国にいるすべての後進国からの移民、もちろん日本を除くアジア人も、いまだにひっそりと自分のアイデンティティに苦しんでいることが多いのが実情である。また同時に苦しむ原因そのものが消えていないのも見逃せない確たる事実だ。単純に言って日本以外からの移民の殆どは自国が貧しく後進的だから自国から逃げて来ただけである。こういう移民の中には色々ともっともらしい屁理屈を言っていることもあるが、直球で言うとやはり「祖国は貧しく野蛮な国なので欧米先進国に移住したかった」と言うだけの事だ。しかしこの事実に対峙するとなると、あまりの恥ずかしさに事実を直視できずにコンプレックスを大爆発させ、最終的に色々と意味不明な対策を考え付く者が現れるのである。そして例えばアジア地域の後進国出身者にとり自身のこのような精神的問題を克服する際「日本」という国が実に都合のいい、利用しがいのある対象として彼らの脳内に湧き上がってくるようである。
初めの方で言及したが、最も日本という国を己の都合のいいように利用している連中が中国人と韓国人である。これにについてもう少し説明してみよう。徹底的に日本を利用しているという意味では同じだが、両者にはいくらかの違いもある。中国人は日本を利用していると理解しながら利用している節がある一方、韓国人は自分自身に催眠術でもかけているのではないかと思うぐらいに日本文化的なものを韓国のものだと全力で主張する。例えてみるなら中国人が卑怯で小賢しい政治家とすると、後者は幻聴幻覚の症状が出ている精神病者であると言えようか。そのため日本を利用すると言ってもこの両者では若干手法が異なる。
韓国人
例えば韓国人はとにかく嘘をつく。あまりに堂々と嘘をつくので聞かされている側がとりあえず疑ってみようとか思いつけない程だ。例えば桜は韓国が起源だとかのような出鱈目を似非科学をもって本気で説明しようとさえ目論む。実際反日人気にあやかりたいキムチ大学のキムチ学者がそれを裏付けるような創作論文を書き上げ、それを見た馬鹿キムチ共が喜ぶといった具合だ。もちろんこのような試みは韓国内だけで通用するのであって、学術的な視点で本格的な調査が行われると国際的な文脈では一瞬で反駁されるので一定の教養のある欧米人には通用しない。しかしそのような教養を持たない人たちには通用してしまうのも事実である。桜以外には鯛焼きや(韓国ではフナ焼きと呼ばれる。そもそもあんこ文化全般を日本から盗んでいる)、キンパ(日本の巻きずし)、スナック菓子全般。餅菓子など、食文化については驚くほど多くのものを日本からパクり、さらに自国のものとして信じ切っている。テコンドーも空手をただ真似ただけなのに韓国独自の歴史的な武術であると欧米先進国の中で嘘を言いふらし、また救いが無い事に、本当に彼自身の大半がそう信じている。
K-POPはどうだろうか?これはもとはと言えば日本人が先に使いだした表現だったはず。要するに「J-POP」が先に存在してある程度知られていたので2004年前後から韓国のBoAなどが日本国内で有名になったので「J」を「K」に変えることでJ-POPとの比較として日本国内でしかも日本人の間でいくらか使われただけである。しかしこの表現が日本のJ-POPと同列の印象を与えるため、日本国内の雰囲気に乗ってK-POPがまるで本当にJ-POPと同列であるかのようにここぞとばかりに次へ次へと一部の日本音楽業界と連携して日本国内にキムチアイドルを輸出して稼ぎ出したのだ。そのまま調子に乗ってアジア全域に広め、中国辺りではある程度成功したようである。しかしこのK-POPという名称をやたらと使いたがる有様を眺めると、やはりこの糞キムチ共伝統の日本への寄生戦法であることは自明である。もしUS-POP(アメリカ)とかG-POP(ドイツ)みたいな呼び方が世界中で一般的に使われているならばその文脈の中でK-POPと呼ぶのは自然であろう。だけれど知る限りそんな呼び方は一般的ではなく先ほども言ったように日本人が自国のポップ文化をJ-POPとして無意識に洋楽POPと分類したのでありK-POPもその文脈でたまたま使われただけの日本独自の呼び方である。一方日本好きの欧米人は昔から存在していて、彼ら彼女らもちろんJ-POPにも興味を持つ。そこに目を付けた韓国人はすでに日本国内だけで使用されている「K-POP」を無理やりJ-POPと同列化して外国人の日本文化好きのファンを手始めに取り込み、その勢いで世界市場に売り込んでいったのであるが、要するに自国文化としてはなく日本文化の一部として、スキーのジャンプ台のごとし日本文化を踏み台にして消費者をだましたのである。無論K-POPにはそれ独自の世界観があるのは確かではあるが、基本的にそのほとんどはJ-POP、特にジャニーズ的なアイドルグループ音楽にアメリカ的ダンスミュージックを混ぜたものであり、その土台は常に日本からのアイデアの流用が必要となる。なのでもしK-POPが何か新しいグループや音楽を大々的に押し出したときは時は必ず土台となった日本の音楽性があるので、それは何かとじっくりと推察してみると面白いかもしれない。
中国人
さて中国人はどうか。中国人の欧米で取る基本的戦略は「知らんぷりで勘違い戦法」である。我ながら変な名づけ方なので正直意味が分かりにくい。中国人は韓国人と比べると小賢しいのがその国民性である(無論これは一般的な話であり、個人での付き合いの中ではとても素晴らしい人格を持った中国人もいる事は付け加えておきたい)。
さて、連中が具体的にどのように日本を自分たちのために利用しているかというと、当然前述のように日本的なものを装いたがるということだが、彼らがどんなに欧米人の前で日本っぽいものを装ったり利用したりしても、基本的にこれら日本的なものを自分のものだとは言わない。が、同時に否定もしないのである。この部分が非常に大切な戦略なのである。
どういう意味か?否定をしないと言ったがこれが大切な部分で、要するに「嘘」はついていないという意味である。それはつまり欧米人が中国人の事を日本人や日本文化的な背景を持つ人たちと勘違いしても(極端な言い方なら「日本人と勘違いしても」)それはあくまで彼らが「勝手に勘違いしているだけだよ」、と言い逃れできるからだ。そう、この連中は確かに嘘はついていないのである。この状況を可能としている理由は中国人側だけにあるのではない。上の方でも言及したように欧米人の多くも日本文化的なものとそうでない他のアジア文化を混ぜて考えていることが多々あり、これもまた原因である。しかし真に悪いのは当然中国人であり、こういった欧米人の勘違いをチャンスととらえ、自分たちに都合よいことと見逃さず、この勘違いをさらに加速させようと懸命に策略するのである。
私の話し方は大げさで被害妄想的なものだろうか?具体的に目に見える形で問題点を示せてないのでは?と思う人もいるかもしれない。たしかに日本文化の略奪行為は日本国内というよりは欧米先進国で見られる現象なので日本国内では気が付きにくいかもしれない。では、そういう策略が成功したならば具体的にどのような結果が欧米先進国で現れるか?
私の友人の殆どはすでに私が述べたような後進国アジア人共のコンプレックスと、その克服のための日本利用と策略ついて私からうざい程聞かされている。有難いことに多くの欧米人は私の意見を理解してくれ、また同情もしてくれている(無論、友達なので私の意見に合わせているだけの可能性も否定できないが)。ある日ルクセンブルクの金融業でバリバリと働いているポーランド人女性が「こんな雑誌があった」と画像を送ってきた。同時に「あなたの気持ちはよくわかる」とメッセージが添えられていた。彼女は旅行に行くためにルクセンブルク空港にいたようでその時にルクセンブルクでよく見かける無料雑誌が目に付いたとの事だ。その表紙がこれである。

お分かり頂けるだろうか?ドイツ語で書かれているが要約しよう。タイトルと副題はこんな感じである。
「アジアとの繋がり」「中国‐ルクセンブルクの社会力学」
まず一言はっきりさせたい事があるが、招き猫は日本文化の物であり中国とは一切関係ないという事だ。そしてここに日本という単語は何処にもなく代わりに中国が招き猫と関連付けられている。じゃあ何故こんな事になっているのか?それは中国人が自分たちの中華レストランやアジアショップ、その他あらゆる店先に招き猫を置きまくるので、それを見たルクセンブルク人を含めた欧米人が「招き猫=中国文化」と勘違いしているからであり、同時にこういう間違った情報が社会に出ても前述のようにこの中国人共はそれを修正するどころか積極的に無視するからである。また、たとえこのような形で日本文化を略奪されても、先述のような戦略を取るので少なくとも彼らは嘘をついていない、という事になる。
一応公平な視点で言っておくと、彼ら自身が招き猫を好きであり中国や香港には招き猫を置いた店がよくある。つまり元々は日本文化の盗用を意図したわけでなく、ただ単に気に入ったから多用していたようだ。しかしそうであっても招き猫は中国文化とは全く関係ない。彼らはそれを知りながらも勘違いを戦略的に放置するわけだ。それはまたこの招き猫が欧米人にとっても面白い文化的なものなので、なおさら中国のものとして勘違いさせたいわけである。日本を国内政治に利用し、隙あらば文字通りの日本への侵略も試み、何かにつけ南京大虐殺の様な眉唾空想をでっちあげ欧米でネガティブキャンペーンをしている日本大嫌いな民族のくせに欧米先進国では日本へのコンプレッククスを爆発させ日本文化を盗用して日本を装うこの連中に対してたとえ一瞬でもよいので殺意が湧くのが普通の人間的な在り様だと思うのだがなんとそんな当然の感情さえ湧かない日本人も多いようだ。ただの馬鹿なのか、それともこのような事実を知らないだけなのか。
残念ながら前者が多い気がするが、さて、あなたはどちらの側の日本人ですか?
その他アジア人
中国人韓国人と比べると他のアジア圏の人たちはそこまで大きな問題ではないともいえるが、それも結局は人によると言わざるを得ない。わかりやすく言うとその大部分は中国人をもう少しマイルドにしたような感じであり、彼ら彼女は日本文化をやはり装いたがるのだが、まぁ、中国韓国以外のアジア人は反日ではなくむしろ親日であることも多いので日本人としては見逃してやってもいいと呼べるようなことが多いと思う。とは言え日本人じゃないくせに日本文化を装うのはやはり卑しく小賢しいことであることははっきりさせるべきだ。実際に中国韓国の連中ほどではないにしろ、時にコンプレックスをこじらせた必死な人たちにも遭遇することがあり、何とも言えない気持ちにさせられることがあるのも事実である。
私の住んでいるルクセンブルクでとあるベトナム人と知り合った。彼はとても良いやつで、私がパーティなんかに呼ぶと必ず何か手土産を持ってきて場を盛り上げる。ちなみに彼の事をベトナム人と呼ぶのはある意味正しく、ある意味正しくない。なぜなら彼はルクセンブルクで生まれ育ったので、正式に言えばルクセンブルク人である。じっさい彼がベトナムに行ったところで現地のベトナム人とはうまくいかないであろう。見かけが同じベトナム人でも、受けた教育の質や育った社会環境が全く違うので中身は別物である。おそらくベトナム語も満足に話せないであろう。ある日のことだがパーティーを開いたときに私は焼き鳥やらその他の日本食を手作りして持って行った。日本人なら少々面倒でもレシピを見ながら作ればなんとかなる様な惣菜ばかりであるが、ヨーロッパ人を含め参加者は旨い旨いと喜んで食べていた。
そんな中このベトナム人と話していると、彼は私に「今日君が作って来てくれた料理はどれぐらい時間がかかったの?」と聞く。私は「大した料理ではないけど日本国内のようにある程度準備された便利な材料が無いので仕込みに時間がかかった」というようなことを答えたのだが、すると彼は「アジア料理ってのはヨーロッパ料理と違って手間が必要だよね」とさらりと無邪気かつ屈託のない笑顔のまま聞き捨てならない妄言を言うのである。「そもそもアジア料理とは何であろうか?」などという馬鹿げた問いを投げかける必要もなく、これを読んでいる皆さんには自明な事であるでしょうが、すでに話したように他のアジア料理と日本料理を同列に語るのは不可能である。同じヨーロッパ圏でもかなり違うフランス料理とロシア料理の差どころではない。日本料理と他のアジア圏の料理とはフランス料理とトルコ料理ほどの違いがある。
正直言って私は悩んだ。なぜなら彼は間違いなく良い奴であることを私は知っているからだ。それでもこのような感じでさらりと「ベトナム=アジア=日本」という便利な屁理屈を利用するのである。勘違いしてはいけないのは別に私が他のアジア系料理、例えば彼のルーツであるベトナムの料理が不味いとか言っているわけではない。むしろ美味しいし私だって好きである。しかしベトナム料理一般と日本料理のどちらの方が手の込んだ料理が多いか、という点では天と地ほどの差がある。一般的に日本料理は手のかかる高級料理というイメージがあるがこれは正しい。その最もたるが割烹料理や懐石料理であろう。ミシュランの三ツ星レストランをパリよりも多く持つ世界一と言っても良い美食の都市東京を抱える日本の食文化レベルと、不潔で雑多な路地にある汚いレストランでオッサンが汗だくになって一生懸命鉄鍋を振るって提供される、スパイシーで病みつきになるが洗練などされていない東南アジア料理と同列にされては困るのである。

私は彼の事を個人的に好きだったので強く反対するのも気が引けていたのだが、それでも事実は曲げたくなかったのでやんわりと違いは説明した、と言うかしてしまった。同じアジア人の同胞として一緒に仲良くやっていきたいという彼のある種の心意気だったと思うし、気持ちはよくわかる。でも間違ってることは間違っており、こういう事柄に対する日本人の優しさ(愚かさ?)を徹底的に中国韓国に利用されている事を知っている私は彼の自尊心を傷つける可能性があってもあくまでも事実は事実として引くことが出来なかった次第である。実に複雑な気分になった一件である。ただそれでも彼との関係はその後も良好だった。やはり彼は良い奴だと心から思う。
余談だが同じような状況であっても欧米人、特にフランス人は絶対にこういうときに自分の意見を曲げない。彼らは自国の文化に誇りを持っており、間違っている事は間違っていると、場の空気など関係なしにはっきりと主張する。そもそもそうあるべきであろう。何故なら事実は事実である。厳しいようだが優しさによる忖度など(原則的に)必要ないとすべきだ。実際あるフランス人と話していた時に私が一瞬デカルトをドイツ人と勘違いしてしまったが、彼はニコニコしながら怒っていたのを覚えている(笑)。
以前に少しだけ日本食レストランで働いていたことがあったのだがそこへ確か中東アラブ系カザフスタンの男性とドイツ人女性のカップルがやって来たことがある(カザフスタンという国はモンゴロイド系とアラブ系が混ざっている)。その男に私は「ここの料理はおいしいよ」とお褒めいただいたので礼儀として当然「ありがとう」みたいな感謝を述べた。それを切っ掛けに世間話の様なものが続いたのだがそこで色々とおかしな主張が出てくるのである。
なんとこの男は寿司は我らが誇るアジア料理、といった事を言い出すので反射的にビクッとしてしまった。さらにトヨタやソニーも我らがアジアの誇る企業との事だ。何を言いたいかわかるであろうか?彼は決して嘘は言っていない。というのも確かに寿司もトヨタも日本のもので、その日本は確かに地理的にはアジア大陸に属する。この男はこの考えをウルトラ演繹して、つまりカザフスタン人も日本人と同列という事であると主張しているのである。無茶苦茶である。ならばアフリカ大陸の黒人だって遺伝子とか進化論的には全人種のルーツにあたるのだから日本もヨーロッパも含めて全世界に散らばる百花繚乱の文化はすべてアフリカ人に属すことになるという理屈も通用するはずだ。私はさすがにこれは受け入れられないので面倒でもいちいち反論していたのだが、よくよく観察していると気が付いたことがあった。その彼女らしきドイツ人は金髪でやや痩せており、また少しシャイな感じであるが、私の経験からして彼女はリベラル的でやや気の弱い女性であり、フレンドリーかつ少し強気に強く口説けば付き合える可能性のある女性だ。国際関係のボランティア活動に参加するタイプの女性と言えばわかりやすいだろうか。このなんちゃって自称名誉日本人がこの女性に言い寄るときは日本人ブランドを利用していたのだろう。韓国人や中国人、または他のモンゴロイド系ならまだ可能ではあるが、さすがに人種的にも明らかに違う中東アラブ系の男が同じアジア大陸の出身というだけで日本ブランドを使って彼女の前で自身のアイデンティティの底上げをするというのは初めて見た。あまりにも無理があり過ぎる。が、そうでもしなければ汚く胡散臭い雰囲気の漂う危険な中東アジアの貧民という設定のままになってしまい、このやや美人で金髪のドイツ人女性を落とす自信が無かったのだろう。
余談だがこのタイプの女性は非常に平和的で相手を顔よりも人格で見るタイプであり、ナイーブともいえるが一方心の優しい素晴らしい人格であることが多い。このなんちゃって名誉日本人君はそこに付け込むと同時に心優しいナイーブなこの女性を意味不明な「日本人=アジア人=カザフスタン人」というブランド戦略で攻略しているのである。しかし恐らくこのタイプの女性はそんなことはたいして気にしていない場合がほとんどだ。何故なら純粋に恋人との関係を楽しむタイプであり相手の出身国がなんであろうと平等に尊重するからである。ただ問題はこの男が勝手にコンプレックスを持っているという事である。己の股に情けなくぶら下がった哀れな二つの玉の要求の為ならどんな手法を使ってでも金髪の女を脱がしたいと考える気持ち悪い輩は別にこの馬鹿垂れだけでなく日本国内でもたくさん知っている。いまでこそ馬鹿に男女は関係ないと冷めた目で見ている私だが、自身が無駄に真面目だった10代の時に同性のクズ加減に対して怒りと見下した感情を抱いていたことを思い出させてくれた一件であった。(実際のところ、このなんちゃって名誉日本人を選ぶようなこの優しいドイツ人白人女性もまた、自分が利用されている事に気が付かないおバカさんと言えるであろう。実際こういう人たちは左翼政治に加担しやすく、たとえ善意であっても結果的に政治的問題を引き起こすことは珍しくなく、その場合は社会にとって害悪な人物であるとさえ言えてしまう。無分別な優しさだけでは逆に問題を起こすのである。誠に残念ではあるが。)
結局私はこれに気が付いた後は穏やかながらも徹底的に「お前と日本人じゃ格が違うんだよ、お前はただのアラブ出身の小汚い移民だ」、といった事を物腰柔らかく間接的に、しかし的確に淡々とその彼女の前で説明したのである。終盤ではこいつも幾分かは物静かになったのでその似非プライドを多少はへし折った気がする。でもたぶんその女性は実際あまりそういう事は気にしないであろうが。

こんな感じで、日本文化イベントや日本食レストランに来るアジア人、またはアジア人と白人のカップルがいるが、要するに日本に関連するイベントや施設にまるで自分自身が日本と関係あるかのような顔でやってくるのだ。寿司屋に中国人とヨーロッパ白人カップルがよく来ることがあるがこれがまさにその典型である。この中国人が本来行くべきは自国料理である中華系レストランのはずだが、特にデートし始めのころは印象が大切であり、垢抜けない安物料理のイメージがある中華料理屋には当然行きたくないわけで、代わりに寿司屋に白人彼氏や彼女を連れ込んで自分を日本ブランドと無理やり関連付けて印象アップさせるわけである。日本文化どころか本物の寿司がどんなものかさえ全く知らないくせに、胡散臭い猿真似寿司屋に入って寿司について適当に蘊蓄垂れるならばヨーロッパのどこにでもいる小汚い謎の糞アジア人が高級料理をたしなむ上流階級の文化人に大変身することが出来るわけで、デート相手の白人には好印象間違いなしという訳だ。
以上の通り、日本と日本文化面がいかにアジア大陸の人間から都合のいいように利用されているか説明してみた。息を吐く様に嘘つくことで有名な韓国人は例外だが、その他多くの日本にコンプレックスのあるアジア人は日本の文化を装いながらも自分のものだとは言わず欧米白人が勘違いすることを助長することがその戦略となっている。戦略と言うと大げさに聞こえるかもしれないが特に中国系の連中がとる行動は戦略といって良いレベルであることを強調したい。殊更に中国(韓国もだが)は日本を国際社会の中で根拠のない誹謗中傷を喚き、同時にあらゆる機会を通して日本から金を巻き上げるようなことをする一方、耐えがたいコンプレックスを克服するために日本人を装うという二律背反したようなプライドも何もないただの糞共である。私は言い過ぎであろうか?確かに個人的な付き合いの中ではよい人がいるというのも事実だ。また政治の話になっても中共にたいしては批判的で日中の歴史問題についても中共が嘘をついている可能性に冷静に同意する中国人もいる。だがこのような良心ががあり自分の出身国を批判することになる可能性があっても信念を曲げない芯の通った中国人はかなりの少数派である。また他のアジア人も何かしらの形で「日本=アジア=自国」方式をちゃっかりと使う。
ああ、言い忘れるところだったが一つ例外があるとすると台湾人かも知れない。彼らは日本人と日本文化を正面から好きな人が多いので、彼ら全員とは言わないが割合多くの台湾人はこういった姑息な思惑を実行することはあまり無いようにに思えた。
話は少し変わるが同じ白人(コーカソイド系人種)だが非欧米先進国の人たちについても少し言及しておこう。どういうことかと言うと彼らの中にはヨーロッパに住んでいないのにヨーロッパ人という枠組みに入りたいという願望を隠し持っている人たちが一定数いる。これはある意味アジア人枠に日本人をどうしても含めたい非日本人国家、という現象とよく似た精神現象と言えよう。東ヨーロッパの幾つかもそうであるが、さらに遠くアルゼンチンやチリなどヨーロッパ系移民によって成り立った南アメリカの幾つかの国も自身のアイデンティティにコンプレックスがあるようで彼らは何処か自分たちを「ヨーロッパ人」であり、「ヨーロッパ人=西ヨーロッパ=先進国」として自身のアイデンティティ向上につなげたいようだ。だが自明な事であるが白人だからと言って彼らが欧米先進国の文明社会を身に着けているわけではない。実際これらの多くの国はつい最近まで汚職と政治的弾圧によって死者が報道される国であり、科学技術等の水準も欧米先進国からほど遠い。
どうするべきか?
そんなの中学生でも思いつくことをすればよいだけである。
話を戻そう。コンプレックスとは確かにつらいものである、かといって日本を利用することは全く正当化されないのは言うまでもないだろう。正直この問題の深刻さについてほとんど報道されていないのは不思議でさえある。欧米諸国には日本人がそれなりに住んでいるのに、このような文化略奪に対しての批判や反論は不思議なぐらい聞くことが少ない。私の知り合いのヨーロッパ人も「結局日本人が声を上げないから利用され続けてるんだと思う。なので外野の我々が助けたって肝心の日本人が何もしないならばあまり意味がないよね」と若干嘲笑気味でコメントしていた。全くその通りである。
この様な際にしっかりと対応すべき存在としてまず現地の大使館があること知っているだろうか。どの国の大使館であっても彼らの大切な役割として自国の尊厳や利益を守ることがある。ヨーロッパ国内であっても各国内に滞在している大使が自国の名誉のために遠慮なく言いたいことを言っているのだ。当たり前の事である。なんせそれは国の代表として存在する彼らの存在意義の一つだからだ。では日本大使館はどうか?
例としてルクセンブルクの話をしよう。ルクセンブルクでも政府・民間に関係なくそれぞれのイベント会場などで、これまで話したような文化略奪を助長させるような表記や表現が意図的・意図的で無いに関わらず時々に見かけるのだが、日本大使館はそれに対して問題解決のために働きかけることなどまずしない。日本代表として日本人の尊厳を守る気概など全くない感じであるが、腐れ外務省の過去の所業を鑑みるならば日本大使館で働く連中に日本国民の正当な名誉と利益を守ろうなんて崇高な意思を持った人間がいることを期待をするのは無駄という事であろうか?税金で良い給料を貰ってる公僕共がすることと言えば、毎日何でもないような事務処理をしながら時々政府関連のイベントに出席してヘラヘラと笑って握手する写真を撮るだけなのが連中の仕事ということのようだ。税金の無駄である。
いや、能無し出張機関に何か期待する以前に、個人のレベルで行動は起こすべきであろう。何よりも民主主義国家では国民一人一人の行動が最終的に大きな役割を果たすのだから。そして政府はあくまで公僕であり、国民一人一人の意思の表明がその存在と政策の正当性の基礎となっているのだ。よって自分で何かしら行動・発言を起こすことが大前提となる。なのにこれを読んだあなた自身も結局何も行動を起こさないなら、このまま我々は中国韓国を筆頭としたアジア人に良いように利用され、その一方で骨なし日本人と欧米知識人に見下されるだけであってもそれは自分が悪いだけだ(そして前述のように実際呆れられてしまった)。しかも我々が腰抜け腑抜けのせいで起きてしまった問題を我々の未来の世代に押し付けることになる。
偉そうに講釈垂れている私は何してるかって?前にも書いたようにもしかしたら国粋主義者の極右と勘違いされ、嫌われるんじゃないかと思いながらも欧米の友人に可能な限り丁寧に説明したりしてますよ。ドイツの幾つかの都市で韓国人によって慰安婦像が建てられそうになった時はドイツの大使館にメール送って対処を要請したりとか。
このように日本、そして日本人にとって害悪な結果しか生まない上記アジア人による日本文化の略奪行為を少しでも知ってもらったなら幸いである。またこの現在進行形の問題については時々投稿したいと思う。
最後になりましたが、もしあなたが事なかれ主義の臆病者日本人でないなら、出来る範囲で良いので何か行動していただければ嬉しいです(^^)
マンハッタンの高級スーパーで見た韓国系スナック。イラストは日本式カワイイをパクっている。 同じくマンハッタンのチャイナタウン。アイスクリーム屋。イラストに注目。
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変な名前のお店多いですよね。私がその中でも1番衝撃を受けたのはTamakin Sushiという名前のヨーロッパのお寿司屋さんでした。
Tamakin寿司のNigiri…どうしてそんな名前にしたのか聞きに行けばよかったもののどうしても入店する気になれませんでした。笑
Tamakin Sushi….ですか。さすがにこれは初めてです(笑)。 「玉」と「金」はそれぞれ特に悪い意味はないので、良い意味と思い創作したのでしょうか。でも少しでも「本当の日本文化」を知っている人なら日本人である無いに関わらず躊躇する名前ですね。